人間にしてくれた娘と共に

知的障害を伴う発達障害(ASD)

娘の幼児期(年中時代1)

娘は幼稚園年中になりました。
年中になると子供たちも幼稚園に慣れて、お友達も個々に分かれて遊ぶようになりました。
娘も気の合う子と遊ぶようになりました。
私もママ友と良い関係でいたのですが、ある時ママ友から「娘が他の子と違うから、保護者会で、うちの子は変な子です。迷惑をおかけしてすみません。」と保護者の前に立って言いなさい。と言われました。「あなたの子が手が掛かるから、うちの子が先生に見てもらえないじゃない。」と・・・
私は娘が障害の判定も出ていないのに、保護者の前に出てなぜ言わないといけないのか、分かりませんでした。
どうしていいか分からず保護者会で何も言えないで終わってしまったら、
次の日から無視と小声で聞こえるように悪口を言われるような生活が始まりました。

娘の幼児期(年少時代)

三歳になった娘。
幼稚園入園。特に問題なく入園できた。
お友達も出来て、毎日登園していました。
私はどうしても発達障害ではないのかと毎日思いながら、不安な日々を送っていました。
ある時、風邪を引きほとんど食事が摂れずにいたら、低血糖で入院しました。
その時の担当医師から「この子は少し気になる所がある。怖い怖いと連呼する。」と言われ、専門医に診てもらうよう勧められました。
診てもらってもやはり答えは変わらず、「小学校に行ったら落ち着く」と言われるだけでした。そのまま時は過ぎ、年中児になりました。

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